2022/12/10 11:29


コロナ禍の中T市に移住し、私たちは意気揚々と農業を学び始めました。農業を始めるにあたって、一番大変だったのはこの研修生時代でした。補助金をもらいながら農業を開始するには、2年間の農業研修の後に経営開始という流れが現行では一番スムーズに就農できる制度になっています。補助金は今や農業をやる上で必要不可欠と言えますが、(場合によっては)代わりにいろいろな自由を失ってしまいます。

以下は、甘い覚悟で脱サラした夫婦が、厳しい現実を目の当たりにして批判している文章です。ですが、当時私たちは必死でした。ケンカも増えました。持病も悪化しました。人間不信にもなりました。かなり大変でした。

今、久松達央さんの『農家はもっと減っていい』を読んでいますが、かなり耳が痛い話が満載です。脱サラ農家になりたい方は仕事を辞める前に一読をお勧めします。

 

1年目の研修(暗黒時代)

20204月にT市が新たに創設した農業学校へ入校しました。運営はベンチャー企業であるY社に委託されていました。2人で希望を持って農業を学び始めたわけですが、入って1カ月でY社の運営に疑問を感じ、T市には7月の時点で研修先の変更を相談し、その後何度も相談してました。そこは研修の場として機能しておらず(ベンチャー精神で走りながら学校をつくるということでした)、就農のための技術・知識が学べず、卒業後の実際のビジョンや就農する農地も示されず、ただ単に労働力を提供しているだけと感じたからです。(それが一般的な農業研修と言われればそれまでですが)

 語りだすと止まらないので細かいことは省きます。結果として、13名の研修生のうち2年目に残ったのは5名。辞めたのは私たちも含め7名。1名はその学校で自ら命を絶ちました。(退学したことになっています)

 市議会でも大量退学は問題になり審議されましたが、T市は、準備不足は認めつつ、「1年目だからしかたがない」、「退学は研修生の農業への認識の甘さが理由」という内容の答弁をしてました。(亡くなった方は自主退学したことにしてました)

 

 その事件の後も、私たちは、学校を辞められず、農地も見つからず、心が何度も折れましたが、なんとか持ちこたえたのは、私たちが2人だったのと、当時はやっていた瑛太さんの『香水』のお陰です。何もやる気が起きず、ただその歌をヘビロテしたりしてました。ミニトマトがお好きなら、彼にお送りしたいところです。

 

 今となっては、その学校に入ったことでしかできなかったことがいろいろあったと思います。普通の研修先では会えないような人の講演を聞けたり、いろいろなミニトマトの病気や害虫を見ることが出来たり、農業の外国人実習生の気持ちがリアルに想像できるようになったり。

ですが、そこでひとりの命が失われています。

「その事実をなかったことのように平然としている」T市やY社に私たちは未だに不信感を持っています。

 

私たちは、この学校からなんとか脱出することが出来ました。うまく伝えるのは難しいですが、私は今まで生きてきた中で1番の不安・ストレスを感じた1年でした。私たち2人は、そこから逃れるために他の場所に出会いを求め、いろいろな方に連絡し、視察を受け入れてもらったり、話を伺ったり、様々お世話になりました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

2年目の研修】

 1年目が終わり、やっとT市がその学校を辞めて、他の研修先へ変更することを認めてくれました。2年目は全農が運営する試験場での研修でした。

 私たちはJAとの関りはあまりなく、よく知らなかったため、不安もありました。でも、実際に研修生の対応をしてくださった職員2名のお陰で、至極まともな研修を受けることが出来ました。そのお二方には、実践的な技術を親切丁寧に教えていただき、非常に感謝しています。(お二方とも非正規で働いていました。全農は正規雇用すべきです!)ミニトマトの栽培についても1年目の研修先と比べ、非常にきちんとしていました。

JAについては、研修を終えた今もわからないことだらけですが()

 

 私(G)は1年目を引きずって、そこではほぼ殻に閉じこもっていました。(あまり会話もせず、かなりとっつきにくい人になってたと思います。)が、いろいろな勉強をさせていただきました。


研修中は全く先が見えませんでしたが、私たちの農業を導くこととなった「ソバージュ栽培」とも出会うことが出来ました。

次回は「ソバージュ栽培」について書きたいと思います。